人文社会科学部研究室探訪●Part9(vol.2)page1

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教授 齋藤 博次002
教授 齋藤 博次003

Profile
SAITOU Hirotsugu
静岡大学人文学部人文学科英米文学(1979年)、筑波大学文芸・言語研究科アメリカ文学(1985年)【修士】


今度学部改組があるということで、改組後アメリカ文学はどの課程で学ぶことができますか


言葉と文化の学習はセットで進めることで、理解もより深まります。

 新しく人間文化課程という大きな課程ができ、専修プログラム制になるわけですが、その中でアメリカ文学を学ぶことができるのは、英語圏文化専修プログラムです。これまでの国際文化課程欧米言語文化コースには、英語圏・フランス語圏・ドイツ語圏・ロシア語圏という4つの教育領域が含まれていて、そこでそれぞれ興味のある言語について学んでいく形でしたが、制度変更により独仏露がヨーロッパということでひとまとめになり、英語圏が別になります。学生にとっては英語関係の科目のとり方が分かりやすくなるといえるかもしれません。内容的にはほとんど変わらず、これまで通り言葉と文化の学習を両立させるようなカリキュラムになっています。

アメリカ文学・文化の授業内容についてお伺いしたいのですが


いろいろな立場の考え方を知るのが文化の勉強です。ディスカッションでは、他者の意見を知り、自分自身の考えを固めていきます。

 毎回テーマは変えているのですが、アメリカ文学に関しては、例えば20世紀初頭のアメリカに現れた「モダニズム文学」について学生に考えてもらう授業があります。基本的にはこちらが一方的に話すのではなく、講義のあとに必ず本を読んでもらい、それについて私が予め用意していた質問項目に関しディスカッションをする機会を設けています。私の話が半分くらい、ディスカッションが半分くらいですね。純粋に講義だけというのはやっていません。講義ってあまり面白くないでしょう、きっと。
 ディスカッションをすることで、学生が本気で考えることになりますし、他者の意見を知る機会にもなります。ある主題を掘り下げていくには、他人の意見をよく聞く必要があります。「ああ、他の人はこんなふうに考えているのか」と、さまざまな意見を知ることになりますし、「じゃあ自分はどうしてこういうふうに考えたのか」と自分の頭で考えることにもつながります。いろいろ話し合うことで自分の考えの根拠を自分で分かるようになります。
 話し合いの最後に私の意見も話しますが、「あくまで僕の意見です」と断りを入れます。みんながみんな同じ意見を持つ必要はありませんので、答えは押し付けません。
 文学の学習に際してはテキストをどう読むかも大切ですが、併せてそれが生まれた社会的な背景や歴史などを考察する必要もあります。「モダニズム」を例に挙げるとすれば、この文学がなぜ出てきたのかというと、根底には第一次世界大戦があるわけです。それまで歴史の進歩を信じてきた人たちが、戦争により価値観をゆさぶられることになる。その中で生まれた芸術ですから、当然社会的な背景からの影響がテキストに見られるわけです。文学自体を楽しむのと同時に、その文学が生まれた歴史的な背景を理解してほしいと思っています。両者の接点を考えると非常に面白いですし、より深い見方ができますから。一応科目名は「文学講義」「文化論講義」と分けられていますが、文化の授業で文学について話すときもありますし、文学の授業をやっているときに文化の話をすることもあり、両方混ぜて講義を行っています。

「モダニズム文学」以外に扱ったテーマでは、ほかにどのようなものがありますか


文学や文化の枠組みを超え、政治や歴史、社会の面からもアプローチをすることも大事。自由に関心を広げてください。

 アメリカ文化については、「ディズニー映画論」というものがあり、普段何気なく観ているディズニー映画のシーンの中に、一体どんなメッセージが隠されているのかといったことを、みんなで鑑賞したり、いろいろな資料にあたったりしながら、明らかにしていきます。あとは「ベトナム戦争」や「第二次世界大戦」を扱った映画を取り上げ、アメリカという国がどう描かれているのかといったことを話し合ったり、テーマはいろいろですね。
 人種民族をトピックにしてユダヤ系文学や黒人文学の特色を学ぶのも面白いですよ。ユダヤ系文学や黒人文学というのは人種問題と深い結びつきがありますから、そうした社会的な背景と絡めながら見るといろいろな解釈ができます。人種問題や民族問題などの理解を深めようとすれば、いろんなところにテーマが散らばっています。手を広げすぎて、自分が何をやっているのかわからない状態になるときもありますが。
 それから「文化」の領域に入るかどうかは微妙なところですが、政治の問題も授業で扱います。1980年代のアメリカで、黒人や白人、あるいはアジア系やヒスパニック系の人たちの間で対立が深まり、いわゆる文化戦争(カルチャーウォー)が起きるのですが、これに関し、大学の入試政策でよく議論になる「アファーマティブ・アクション」の問題や差別語の規制の問題などについて、平等や言論の自由までも含めて考えるなど、文学や文化の範囲にとらわれず授業を行っています。ほかにアメリカの女性文学、日系アメリカ文学など今後取り上げたいトピックは尽きません。

ここでの勉強は、進路にはどういう形で生かしていけると考えますか


漢方薬のようにじっくりと効果が現れるのが文系の学問。「リベラルな市民」を育てていきたい。

 理工系の学問が西洋医学のように即効性があるのに比べ、文化系の学問は漢方薬のようにじわじわ効いてくるものだと私は考えています。ですので「これを学べばこの職業で生かせる」ということは言えないのですが、例えば地域社会で活動したり、異文化の人と接したり、市民として生きていく中で、文系の学問は何らかの形でプラスになっていくのではないでしょうか。
 「企業の即戦力」を育てるのではなく、「リベラルな市民」を育てていかなければなりません。「国民」ではなくて「市民」です。例えばアメリカのリベラルアーツ系の大学では、専門家ではなく、社会や地域のコミュニティーを担う「健全な市民」を育てるということをしています。自分の意見を持てるとか、それをうまく人に伝えられるとか、そうした能力が授業を通じて身に付けばいいのかなと考えています。