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宮沢賢治いわて学センター 第20回研究会のご報告
名 称: 岩手大学人文社会科学部 宮沢賢治いわて学センター 第20回研究会
(旧・岩手大学宮澤賢治センター第125回定例研究会)
日 時: 2023(令和5)年6月27日(火)17:00~18:10
形 式: オンライン形式(Zoom Meetings)
講 師: 中村 安宏 氏(岩手大学人文社会科学部教授・当センター兼務教員/日本思想史)
演 題: 岩手で活躍した「即身仏」
司 会: 木村直弘(当センター副センター長)
参会者: 56名
【発表要旨】
湯殿山に関わる行人からなぜ「即身仏」が現れたか。その背景に湯殿山と羽黒山との対立があることは確かであろう。羽黒山別当の天宥が天海の支持を得て三山を天台宗で統一しようとしたのに対し、湯殿山側の4か寺は抵抗し、より真言宗色を強めていく。その過程で「即身成仏」が浮上してくる。しかし問題はこの対立が行人に与えた影響にある。鉄門海の『亀鏡志』に「即身成仏」は見られず、湯殿行人が扱う「上火」が羽黒の「常火」より優れていることが論じられている。寺にとっては「即身成仏」が重要だったとしても、行人鉄門海にとっては生前の修行そして布教救済活動(祈祷など)に使う火が問題であった。その証拠に『亀鏡志』では対立の論点とはなっていない、やはり行人に関わる「断食」の意味づけがなされている。その鉄門海の布教の特徴はどこにあるか。岩手町の鉄門海碑を見ると、出羽三山を地元の山などに見立て、また当地の金毘羅信仰と結びつけており、地域に即した活動をしていたことがわかる。
鉄門海の事業を継承したのが鉄竜海である。盛岡に連正寺を創設した背景として明治期の神仏分離への対応が考えられるが、盛岡市乙部の鉄竜海碑からはすでに幕末期から布教活動を行っていたことがわかる。彼の活動を支えていたのはむしろ同じ行人鉄門海への尊敬であったと言える。