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宮沢賢治いわて学センター 第27回研究会のご報告
名 称: 岩手大学人文社会科学部 宮沢賢治いわて学センター 第27回研究会
(旧・岩手大学宮澤賢治センター第132回定例研究会)
日 時: 2024(令和6)年7月25日(火)17:00~18:25
形 式: オンライン形式(Zoom Meetings)
講 師: 大土 直哉 氏(東京大学大気海洋研究所・大槌沿岸センター助教/甲殻類学)
演 題: イーハトーヴの「蟹」を追って──謎の存在は「クラムボン」だけではない──
司 会: 木村直弘(当センター副センター長)
参会者: 53名
【発表要旨】
賢治初期の短編『やまなし』について、甲殻類を研究する立場から本作に登場する「蟹」について、絵本を主とする絵画作品でどのように描かれてきたか(文化甲殻類学)、その正体だと認識されるサワガニGeothlphusa dehaani(広義)とはどんなカニか(分類学)、そして岩手のサワガニにとって5月と12月とはどういう時期か(生態学)という話題を提供した。
重要な前提として、本作中では「蟹」は「蟹」とのみ表記されており、その他の描写と合わせるとモクズガニEriocheir japonicaよりはサワガニに近いように思えるが、その種を完全に特定することはできない。しかし既存の絵画作品を分析すると、「蟹」を簡略化したカニ類として描く作品群と極端に写実性の高い作品群に二分され、いずれの場合にもサワガニを想起させる作品が多いことが確認された。最新の分類学的研究によって、サワガニには多数の種が含まれている可能性が指摘されている。本州におけるサワガニ類の多様性研究は始まったばかりであり、岩手に分布するサワガニ類の正体は不明という他ない。フィールド調査からは、「二枚の幻燈」が示す「五月」と「十二月」は、岩手県内のサワガニ類の活動期の開始期と終了期に相当し、その一方で、実際の県内のやまなしの落果時期(9~10月)とは一致しないことが判明した。また岩手のサワガニ類は関東~九州のサワガニ類と比較すると水場に依存する傾向があるようである。
それまでの『猿蟹合戦』『蟹報恩譚』『あわて床屋』などとは異なり、『やまなし』は明確に「陸水域の水底のカニ」を描写した。そしてシェア率の高い光村図書の国語教科書で数十年にわたり教材とされて続けることで、『やまなし』は、現在広く日本人に共有されている「清廉な水底に佇むサワガニのイメージ(やまなし文脈)」の形成と維持に寄与してきたと考えられ、文化甲殻類学的にも極めて重要な作品と評価できる。そこにはおそらく若かりし日の賢治自身が県内のサワガニ類を観察した経験も反映されているだろう。ただし我々は、賢治が必ずしも作中で「岩手の自然」を再現しようとしているわけではなく、何らかの作為をもって自然をデフォルメしている可能性についても十分考慮しなければならない。なぜならそれは設定上、「二枚の幻燈」でしかないのだから。