研究室探訪小島 聡子

小島 聡子

KOJIMA Satoko

人間文化課程 【日本語学】

  • 東京大学文学部国語学専修課程 (1991年)
  • 東京大学人文社会系研究科日本文化研究(日本語日本文学)【修士(文学)】 (1998年)
  • この記事は2008年に掲載された記事を再編集したものです。

掲載日


専門分野について

先生が現在取り組んでいる研究テーマを教えて下さい。

 日本語の歴史というか、日本語がどのように変わってきたかを勉強したいと思って研究を続けています。時代としては、もともとの興味は平安時代の頃にあたります。高校生で学ぶ古文の世界ですね。

 ただ、いろいろ経緯がありまして、近代の明治とか大正あたりの日本語の変化にも興味があります。近代の、言葉が出来上がっていく、また変わっていくところが面白いですね。変わっていく過程が面白いので、そこを追求したいと研究を進めています。現在は、学生と一緒に宮沢賢治の勉強も進めています。

先生の専門の世界から見ると宮沢賢治は、どのような存在なのでしょうか?

 そうですね、宮沢賢治の時代は、ちょうど書き言葉が、私たちが今使っているような書き言葉ですが、話し言葉に近い書き言葉が作り上げられていく時代にあたっています。その意味で、今の言葉とは違うところもたくさんあるのですが、違うといっても平安時代の古文ほどには違っているわけではなくて。賢治の使っている書き言葉の使い方は方言に近い部分もありますね。短く説明するのは難しいんですが、あえて言えばそうなるでしょうか。

 あの時代は、日本国中に方言がいろいろある中で、標準語を作り広めていく時代にあたっていて、賢治は全国統一の口語体の教科書を使った初めての世代にあたります。国語の授業の中で学んでいたのですね。口語を使った教科書は、それまでにもあったのですが、全国一斉に同じ教科書を使ったのは、賢治が小学校2年生の時からですね。

 学生さんと授業の中で、賢治の書き言葉のどんなところが今と違っているか調べたことがありますが、「まるで」とか「すっかり」という言葉の使い方が現代と違っていたりすることに気がつきました。それは、たぶん方言の影響があるのかなと考えています。

なぜ、日本語学に興味を持たれたのですか?

 高校の時に古文の先生に面白い先生がいらっしゃった影響と、もともと古文というか古文の世界観のようなものが好きだったので、大学では国文学に進むつもりでいました。将来のことを考えると、いわゆる会社勤めは向かないだろうと思っていましたので、研究者とか国語の先生になりたいなと、自分としては思っていました。

 実際に大学に入ってみると、知らなかったことが多くて、こんなこともあるんだ、あんなこともあるんだと気づかされ続けていました。私の学んだ大学では、2年生の前半で専門を選んで、3年生から専門分野を学ぶのですが、その専門を選ぶときに、当初の予定を変えて、日本語学を専門にしようと決めました。私の思っていた国文学のイメージは実は日本語学の世界なのだとわかったからです。言葉の使われ方の意義というか、言葉をちょっと違った使い方をするだけで、まるで違う意味になったりする、そんなことを勉強したいと思ったんです。

先生の研究の中には、現代の日常の言葉に関する内容もあるようですが?

 それは、特別な研究対象というより、言語学を学ぶものとして日常的に考えていることなのですね。言葉は日常の中にあるわけで、身のまわりの言葉全てが研究対象ですから。

 「日本語学を学べば正しい言葉が習得できるんじゃないか」とか「上手に話せるようになるんじゃないか」とか思われる方がありますが、そういうものではないんです。

 例えば、今ある言葉がなぜ今そうなっているんだろうと考えるのも、日本語学の世界だと思っています。ですから、今よく「日本語が乱れている」とか言われますが、私としては、その言い方はダメだとか言うより、むしろ何でそんな言い方が可能なんだろうなということを考えるんです。いつの時代も若者の言葉はあったし、世代によって言葉遣いも違いますしね。むしろ、その違いに興味を持っていて、学生さんにも聞いたりしますよ。もう、気軽に聞きます。「ねえねえ、これってどういう意味よ」なんてしょっちゅうです。

すると現代の若者言葉は乱れているのでしょうか?

 いえ、私はそんな風には思っていません。ただ、そもそも言葉を使わないというか使えない学生さんが少しずつ増えているのかなというのが気になっています。みんながみんなそうじゃないんですが、例えば、レポートを単語の箇条書きで書いてくる学生さんとか、授業中にレスポンスカードといって学生さんに何か書いてもらうことがあるのですが、それも単語一語で済ませる学生さんとかがいます。あるいはレポート等を出しに来ても、何も言わずに差し出してよこすようなときもあります。いいとか悪いとかいうことより、言葉は使わないと使えないままになってしまうぞと心配です。

 敬語が使えるとか使えないとかが問題になったりしますが、それ以前に、そもそも話が出来ないのでは困りますよね。言葉自体は時代とともに変わっていくものなので、難しい言葉を知らないとか諺を知らないとかは別に問題ではなくて、ただ、ちゃんと言葉を使ってコミュニケーションして欲しいと思うのです。言葉に出来ないこともありますし「話せば分かる」などとも思いませんが、それでも言葉にしなくては何も伝わりませんから。

講義について

学生にはどんな指導を心がけていますか?

 専門の学生さんたちには、基本的には「頭をやわらかくしよう」と言っています。あと、いろんな授業で会う学生さんたちには、「他人が読んでわかる文章を書いてほしい」と言っています。他人のことはあまり言えないとも思うのですが、読み手がいることを意識して書くべきだということですね。相手が読むんだと意識して書かないと、自分はこういうつもりだったと後から解説されても読み手は困るだけですからね。

 それと、学生さんは正しいとか正しくないとか、すぐそういうことを知りたがりますが、そうではなくて、自分たちが実際にどんな言葉をどのように使っているかを観察したり感じたりして、言葉の使われ方に敏感になってみると面白いよということを伝えたいと思っています。

高校生へのメッセージ

 アジア圏文化プログラムは、日本、中国が対象となっていますが、いろんなことに興味を持って楽しめる学生が向いていると思います。それは、アジア圏文化プログラムのというより人文社会科学部の特長として言えることでしょうね。いろんなことが勉強できる学部なので、学ぶことが好きであれば、あなたこそ人社だ!(笑い)と言いたいです。

 今の世の中の傾向としては、目標定めてそれにまっしぐらということを好むように思うんですけど、それはそれで良いとして、何かのためでなく学ぶことそのものを楽しむ学生さんにも来てほしいですね。入学当初は将来設計が決まっていなくても、勉強することでいろんな興味が湧いてくるはずですし、人社のカリキュラムは、その興味を深めることが出来るような広がりと深さを持っていると思います。

 英語を学んでいる学生さんが、日本語に興味を持つことだってありますし、もちろん同時に学ぶことも出来るわけですね。この学部の自由さを学びに生かしてほしいと思います。


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